コロナ禍でお見舞いも叶わぬ中、大好きな母を、 せめて葬儀は家族で自宅から見送りたい。※NHK【クローズアップ現代+】にて取材されました。
2020年9月18日お母様(享年65歳)を亡くされた平間弘隆(ひらま ひろたか)さん。2020年の3月から入院されたお母様を、コロナ禍で面会ができない状況の中、入院から半年経って余命が2ー3週間であると告げられます。せめて葬儀だけは自宅で行いたいと調べていく中で思い出したのが、以前にテレビ番組「ガイアの夜明け」で特集されていた「鎌倉自宅葬儀社」でした。
実際の自宅葬の様子
ーーいつ頃、葬儀のことをお考えになったのでしょうか?
母が2018年に多発性骨髄腫というガンに罹りました。その後、一度回復しましたが、2019年の年末に急性骨髄性白血病というさらに重い病気に罹りました。さらには入院するタイミングで、世界では新型コロナウイルスが流行し始め、母をお見舞いに行くこともできなくなりました。そして入院から半年経った8月に「あと余命2〜3週間」と告げられたんです。
亡くなるまでの時間を母に自宅で過ごしてもらうことも考えましたが、母には輸血が常に必要で、私の住んでいるエリアでは在宅で輸血できる医療機関が見つからず、自宅療養は叶わなくなりました。母は自宅が好きだったこともあり、せめて葬儀だけでも母と家で過ごしたいと考え、自宅でできる葬儀会社を探し始めました。
ーーお母様の余命が告げられた時期に自宅葬を真剣に考えられたんですね。
そうですね。インターネットで検索して自宅葬をおこなっている葬儀会社に複数問い合わせましたが、どの会社も予算やプランの説明をされるばかりで、母のことや、私が今抱えている不安を聞いてもらえず、焦りと不安が増していきました。そんな中、以前テレビ番組「ガイアの夜明け」で観た鎌倉自宅葬儀社を思い出して問い合わせてみました。
ご家族みなさまで思い出の写真やぬいぐるみなどをたくさん飾り付けました。
ーーそのような経緯で鎌倉自宅葬儀社に問い合わせたんですね。
鎌倉自宅葬儀社のホームページには、私の住む茨城県は対応エリアに入っていませんでした。ただ、「ここだったら話を聞いてくれるかな・・・」と思い、思い切って電話をかけてみたんです。今思い返してみると、あの時はただ誰かに話を聞いて欲しかったんだと思います。
電話をすると窓口の方が「難しいかもしれませんが、社内で掛け合ってみます」と。一度電話を切って待つこと5分、すぐに馬場さんから折り返しが来たんです!そのときの「茨城でも可能です」という力強い言葉は鮮明に憶えています。
そのときに私は、私の抱えていた不安や悲しみを一方的に話してしまったのですが、馬場さんはただ静かに話を聞いてくださいました。そして「まずはお母様との残された時間に、集中してください」という言葉をもらったときに、「母の葬儀をここに頼もう。馬場さんにお願いしたい」と思いました。
ーー話を聞いてもらえたのが大きかったんですね。
はい、そうですね。馬場さんにはいっぱい話を聞いてもらいました。週一回でもお見舞いができたら、母の変化を感じることができたのに・・・母が入院するタイミングでコロナ禍で面会禁止となって、お見舞いもできず、突然「もう難しいです」と病院から告げられ、心の準備ができていなかったこと。
たとえ亡くなった後だとしても、母を家に返してあげたい・・・最期は母との思い出が詰まる自宅で一緒に過ごしたいということ。言葉を重ねる度に、涙が溢れてきたことを今でも思い出します。
お孫さまはじめご家族さま全員にお手伝い頂きながらお母様にお着せ替えやお化粧を施しました。
ーーお母様が亡くなる前に葬儀会社を決めることができたんですね。
はい。不謹慎かと思われるかもしれませんが、母が亡くなる前に葬儀会社を決めました。ですが、そのことにより私の葬儀に対する不安は減り、母との残された時間に集中することができました。コロナ禍の中では、最期に立ち会えない方もいたと聞きます。ですが、私の場合、余命を告げられてからは週2回のお見舞いを許可していただき、病院も良心的に協力してくれて、亡くなった日に自宅に帰してもらうことができました。
ーー亡くなった日にご自宅に帰ることができたんですね。
はい。その日の夜に馬場さんに電話をかけて、喪主としての責任を果たしたいという気持ちと、何をしていいのか分からない不安で「私は何をしたらいいのでしょうか?」と馬場さんに尋ねました。「何もしなくていいですよ。ただ、お母様の傍にいてあげてください」という言葉をもらった時に心から安心したのと同時に、馬場さんに頼んで本当に良かったと。母が亡くなった夜に、母の自宅で、母と妻や子供たちとみんなで寝ることできたのは、とても幸せな時間でした。
ご家族さまに囲まれながら過ごすご自宅で、故人さまの表情がだんだんと穏やかになっていきました。
ー実際に何もしなくてよかったのでしょうか?
はい、母が亡くなって家に帰ってからはほとんど何もしませんでした。もちろん、葬儀の段取りを打ち合わせしたり、お寺に挨拶に行ったり、お通夜の準備もあったとは思います。しかし、それ以外の時間はずっと母の近くにいることができました。これは私のわがままだったのですが、自宅葬だけでなく家族葬にすることも決めていました。葬儀に参加したのは私の家族、私の姉家族、そして母の姉家族だけです。ですから、私や姉の家族は、母の隣でずっと心の会話ができましたし、一緒に寝て、大好きな母とずっと一緒にいることができました。母の姉の家族も、毎日のように母に会いにきてくれました。母の入院中にお見舞いが出来なかった分、ここで母との時間を取り戻せたと思います。
それに、母は生前、自身が亡くなった後のことも考えてくれて、葬儀の費用や相続についても準備をしてくれていました。ですので、そういった面でも心配をすることがなく、母との時間に集中することができました。
ーー素晴らしいお母様ですね。
はい、本当にそう思います。ただ、一つ後悔していることがあります。
母が一度小康状態になった2019年の年末に、私は母と大喧嘩をしたんです。きっかけは些細なことでした。その喧嘩から母との連絡が途絶えがちになり・・・そうしたらそこから病状が悪化して入院することに。もし、あのときの喧嘩さえなければ、母の病状は悪化しなかったのではないかと、今でも考えてしまいます。痛恨の極みです。亡くなった今となっては、母と話すことができないのが一番悲しいです。もっと話しておけば良かった・・・
ーーそれは辛いですね。
はい、母には恩返ししたいことがいっぱいありました。一緒に行きたかったところもあるし、子供達との思い出ももっと残して欲しかった。後悔がたくさんあります。
ですが、その後悔の分も含め葬儀の時間に心を込めました。やれるだけのことはやったので、母も許してくれるんじゃないかと思います。
お通夜の後、故人さまとの思い出がつまったお料理の数々を囲みながら最期の夜を過ごしました。
ーー心に残っていることはありますか?
自宅に帰ってきてから時間が経つにつれて、母が笑顔になっていったことです。
帰ってきた母は、抗がん剤の副作用で、顔が黒くむくみ、髪も抜け落ち、変わり果てた姿でした。
ですが、納棺の儀の時、納棺師の方が本当に良くしてくれて・・・家族みんなで母を闘病前の姿に戻すために一生懸命頑張りました。洋服を着替えさせて、爪を切って、お化粧をして、家族みんなで、母のために・・・とても幸せな時間でした。綺麗になった母は、それだけに留まらず日が経つにつれて、徐々に頬が上がり笑顔になっていたのです。馬場さんは私に「お母様は細胞レベルではまだ生きておられて、皆さんの声や空気を読み取って、喜んでいるんですよ」と教えてくれました。もし本当にそうだとしたら、喪主としてこれ以上ない喜びです。
ーーどのような自宅葬をされたのでしょうか?
まず、家中にある写真や思い出の品を集めました。母が思い出をたくさん持っていけるよう、母の周りに飾りました。毎日少しずつ増えていき、気づいたら母の周りには写真や思い出の品で埋め尽くされていました。母が好きだったCDも流し、葬儀場が寂しくならないよう心がけました。
馬場さんからは「お通夜も好きにしていいですよ」と言っていただきました。母は生前、毎週のようにうちに来て、家族を外食に連れていってくれたことを思い出しました。そのときに母と行った思い出のお店からテイクアウトをお願いして、妻が作った料理の中でも特に喜んでくれた「おでん」などを作って、それをみんなで食べました。母との思い出を語り合いながら、笑いが絶えない幸せな時間でした。
お料理のメニュー表もご家族さまで手作りしました。
ーーお姉様はいかがでしたか?
姉には大変感謝しています。姉は東京に住んでいて、母の病院も東京だったので、母が亡くなるまで身の回りの世話をずっとしてくれました。もちろんお互い人間ですので、母の治療方針や葬儀に関して、多少の意見の違いはあったと思います。ただ、葬儀から半年経って今思うのは、私の知っている母と姉の知っている母がきっと違っていただけなんだと。母の携帯電話には、姉家族との写真がいっぱい残っていました。私の知らない母の素敵な顔がたくさん詰まっていました。きっと、私も姉も母を愛するあまり、勘違いやすれ違いが生まれてしまったのかと。最終的にはお互いの意見を取り入れた納得できる葬儀にできたのではないかと思います。母にたくさん思い出を残してくれた姉には、やはり感謝の気持ちしかありません。
ーー家族葬にして良かったですか?
母には友人がたくさんいたので、葬儀に呼ぶべきか本当に悩みました。実際、母の葬儀があったことを知らなかったご友人からは「どうして呼んでくれなかったのか」と後日お叱りの言葉も貰いました。ですが、私達家族にはきっとあの母との心の会話の時間が必要だったのだと思います。あの時間があったから、今前を向いて進んでいけているのだと。
納骨のときには、母の友人にもたくさんお越し頂きました。皆、口を揃えて「お世話になった」と声をかけていただき、母が多くの人から愛されていたことを実感しました。そんな母の最期を家族だけで「独占」するというわがままをさせてもらったことを、ありがたく思っています。
ーー鎌倉自宅葬儀社に頼んでよかったでしょうか?
はい。
馬場さんは母のために鎌倉から茨城まで片道3時間の往復6時間かけて、毎日来てくれました。葬儀に関して何も知らない私に、母を失って悲しみに暮れる私に、常に寄り添い励ましてくれました。私が葬儀に込めたい思いを理解し、的確に助言をしてくれました。おかげで私は、母との最期の時間を心安らかな素晴らしいものにすることができました。家族みんなでいっぱい笑って、たくさん泣くことができました。
ずっと辛かったんです。母の癌の治療方法も限られ、コロナ禍の中でのお見舞いもできず、私達家族は何も選択ができない日々が続きました。母が死に向かっていくのをただ眺めているしかありませんでした。「このままではいけない」と思い、一歩踏み出したことで、私は鎌倉自宅葬儀社に馬場さんに出会えました。そして、葬儀の中で、小さな選択を積み重ねていくことで、納得して母を送ることできました。
まだまだ大変な日々が続きます。抗えない大きな波が襲ってくるときもあります。ですが、その中においてもどうかその一歩を踏み出せるようにと、今もどこかで苦しんでいる人たちに、心から伝えたいです。