満月と満開の桜のもと、 難病と闘った母をお見送りできた自宅葬。
2018年3月にお母様(享年88 歳)を亡くされた松原 信子(まつばら のぶこ)さん。長男である松原秀幸(まつばら ひでゆき)さんは鎌倉市稲村ガ崎のご自宅で、PSPという進行性の難病を患うお母様と暮らされていました。
そのお母様の死期が近くなったときに思い出したのが、かつてチラシで見た「鎌倉自宅葬儀社」でした。
実際の自宅葬の様子
ーー どのような経緯で当社を知りましたか?
PSP(進行性核上性麻痺)という進行性の難病で療養中の母が亡くなったときには自宅葬儀をしようと決めていました。
そのようななかであるときに手にした鎌倉自宅葬のチラシの印象が良かったのがきっかけで知りました。そのときは母はまだ病気で療養中でしたが、いつかは話を聞いてみたいと考えていました。
ーー どのような流れで自宅葬をおこなうことになったのでしょうか?
2017年の夏に母の体力が落ち、徐々に食べられなくなってきました。胃瘻(いろう)をつけるか、気管切開をして呼吸器をいれるか、など延命措置をするかどうかを考える段階になりましたが、以前に母から延命措置についてはおこなわないでほしいという要望を聞いていたので迷いました。しかし、母の目はまだ開いていて意識もあったので、胃瘻をつけることにしました。
そうしたら、一時は急減した体重が戻ってきました。
そのような状況ではありましたが、母が亡くなったときの準備を始めようと心に決め、2018年の2月に、鎌倉自宅葬儀社に電話をして、担当の馬場さんと翌週に打ち合わせをするかたちで段取りを進めていました。
しかし、最初の打ち合わせをおこなう前に、母の容体が急変して亡くなったのです。なので、事前の打ち合わせする間もなく葬儀になってしまいました。
松原さんのご自宅のから庭を見るとリスがいました。
ーー それは急な展開でしたね。初回のお打ち合わせはいかがでしたか?
はい。初めて馬場さんと会ったときは、とても丁寧でスマートで思っていた以上に良い印象を受けました。また、親会社の面白法人カヤックの活躍ぶりも知っていたのでそれも好印象でした。
ーー 自宅葬は初めてでしたか?
実は、父が亡くなったのは病院でしたがそのときも自宅葬をしたんです。そのときの葬儀は、大手の葬儀会社にお願いをし、母がすべて「プロデュース」していました。
なので私が喪主という意味では初めての自宅葬ですが、自宅葬自体は初めてではありません。
ーー 当社からのご提案で印象に残っていることはありますか?
「ゆっくり時間を使ったほうがいいですよ」というご提案をいただきました。月曜に母が亡くなったものの、葬儀の予定が六日後の日曜だったので最後に家族と過ごす時間ができ、その間に段取りを進めたり、関係者に連絡をとることができました。なにより母と最後に六日間を過ごせたのは本当に良かったです。この期間が自宅葬儀をやって一番良かったところだと思います。
ーー 実際に葬儀をしてみていかがでしたか?
これまで母に関わってくれた医師、看護師、ヘルパー、理学療法士、言語聴覚士の方たちがお通夜にかけてつけてくれたのが嬉しかったですね。
ーー 葬儀についてやりなおしたいことはありますか?
全くないです。
お寺さんも馴染みの深い成就院の方に来てもらえてスムーズに進んだし、母の状況も以前からご理解いただいていたので、司会の方がいらないくらいご住職が仕切ってくれました(笑)。
松原秀幸さん(写真右)
ーー 他になにか印象に残ったことはありますか?
お通夜の日が3月30日で、満月と桜の満開が重なるとてもきれいな日でした。満月と桜の満開が重なること自体が稀だったこともあり、本当に感動しました。その日の夜の成就院から観た満開の桜と満月は忘れられないです。
母の戒名には『瓔林妙華信女』という桜に由来するものもつけていただくという粋な計らいもありました。
父も母も同じ病気で亡くなっているため、家族としては二十年近くこの難病と向き合っています。同じ病気で苦しむ方への貢献になればと考え、脳や臓器は病院に提供しました。
後日、母を病理解剖した先生に話を聞いたときに、提供した脳や臓器が置いてある病院とお骨のあるお墓がとても近い場所にあることが私の頭の中でつながり、とてもおだやかな気持ちになりました。